(2008年8月当時)
▼今から12年ほど前の2008年夏の様子ですが、桐生市も駅前をちょっと歩いただけで、歩き旅というほどのものもネタもないまま記事としてお送りするのが少々心苦しいですが、まずは桐生駅前広場の様子からです。
この写真のオブジェは五線譜のようなものがクロスに交差していますが、調べても何なのかよく分かりませんでした。ただインパクトはある代物でした。
▼お次は桐生市のマンホールです。
桐生市を代表する産業である「機織物」が中央部に描かれ、工業団地を多く有するためか機械金属の歯車も描かれていて、これが桐生の2大産業とされています。外周は市の花「サルビア」が取り囲んだものとなっています。
▼駅前にあった桐生市観光案内板です。
北部はほとんどが山で、足尾山地や赤城山といった有名どころの山々が市内にあります。そしてその山々のある所にはキャンプ場が点在しています。
桐生市の地形は実に特徴的で、案内板では分かりづらいですが、南北に長い市域が2つ離れて存在しており、その間を「みどり市」が突っ切る形になっています。
市域のいわゆる「飛び地」は、ほんの一部の地域では結構例はありますが、これほどまでに2つの大きな市域が同じ市として離れて共存しているのは極めて稀だと思います。
駅記事でもチラッと載せていましたが、この通りを進んでいくとこんな感じ、というカットです。すぐにカーブになっていて向こうは見えづらいですが、ステーションホテルとイーオンのあるビルだけ大きいという感じでした。
▼桐生駅北口駅前から東へ向かってのカットですが、歩道アーケードつきの商店街が続いていました。ここは末広町通り商店街という桐生市を代表する商店街となっており、1971(昭和46)年に開設され、この当時で37年を経過していた事となります。
▼花月旅館なる旅館の看板が出ていた通りがありましたが、今は調べても営業している痕跡が見受けられないです。右側の写真は左側からやや進んだ様子です。
▼通りがかりに「桐生第一高校」がありました。
桐生一高といえば、高校野球の夏の大会で全国制覇も成し遂げた名門校です。
ただ野球部総部は1989(平成元)年と割に最近の事で、現在の桐生第一高校と改称(改称前は「桐ヶ丘」高等学校)されたのもこの年の事でした。その10年後の1999(平成11)年に正田樹投手を擁して甲子園で優勝した時には大いにクローズアップされましたが、多くのブロ野球選手を輩出しています。野球とともにサッカーも盛んで、サッカー選手も多く輩出しています。
という訳で大した旅もできず、駅前をウロウロしただけのような記事になりましたが、今どき感が薄く、昭和の匂いを遺したところが多かったように思いました。
また、この町も観光資源がそこそこありそうなところで、郊外まで出れば色々楽しめそうです。