大阪府河内長野市、南海・近鉄/河内長野駅からの様子です。
(2007年1月当時)
▼まずは河内長野駅前広場で、駅記事にて載せていなかったカットです。
今から14年近くも前の様子で、どの程度変わっているのだろうか?(変わっていないのだろうか?)というところですが、あくまで当時の様子として載せます。
右側に写っている「ノバティながの」は現在も稼働していますが、当時は核となる西友が入っていた頃で、その後2009年に西友が撤退した際には、かなりの雇用が失われていったといいます。
真ん前に三井住友銀行がありますが、今もこの位置にあるようです。
▼長野商店街という事でアーケードが続いていました。
しっかりした商店街のように見えますが…
かなり廃れ切ったような事が少なからず書かれており、確かに人通りも多くなくというより、かなり少なかったのですが、今ではいくつかの商店が存続しているのを除いて完全に形骸化しているという記載も見受けられます。表だけ見ると、大阪の賑わった中心商店街のようなこじゃれた感じがするんですが…
▼高野街道、についての説明がありました。
高野街道は、かつて京・大坂から高野山への参詣道として造られた街道で、主にここ河内中野から和歌山県橋本市までを指しているといいます。
起点を異にするルートが4つありますが、そのいずれもがここ河内長野で合流しているという重要拠点であった訳ですね。
▼高野街道の合流点である事を示す標柱も建っていました。
▼ここ河内長野では、南海沿線の各駅を巡って、駅前を歩いていましたが、これといって記事にできるようなものがなく、ここ河内長野駅前で唯一訪ねた「長野神社」くらいかなというところでした。
その長野神社の階段をあがるところ、「戎」の字の提灯が並んでお出迎えでした。ホントに駅の真ん前にあるので気軽に訪ねる事ができます。
▼これは長野神社のふもと?の道路の様子です。
こんな石垣・白壁の塀に囲まれて神社は鎮座しています。
▼長野神社の説明板です。
長野恵比寿としても知られ…、とあり、提灯の「戎」もあり、駅前歩道橋にも長野「戎」神社と横断幕があり、戎神社として親しまれているようです。
創建年代は不明ですが1543年ごろといわれ、江戸中期までは牛頭天王宮などともいわれていたのが、明治元年に今の「長野神社」に改称になったとありました。
毎年10月11日には、大きな松明に火が灯される荘厳な祭りが行われる、ともありました。
▼長野神社の境内です。
広場スペースがあり、荘厳な雰囲気の空間でした。
この境内にあるカヤの木は大阪府下最大で、天然記念物に指定されているものです。
バックグラウンドに壮大な木々があって、この景色の荘厳さが一層引き立っていたように思います。
この時は正月三日に訪ねましたが、神社の売り子などがいるようなところではありませんでした。
▼最後は長野神社の拝殿です。
見えていませんが本殿は重要文化財です。
という事で、実質長野神社へ行っただけの記事でしたが、もう少し市内の名所へも行きたいな、と記事を書いてて思いました。