東京都東大和市、多摩都市モノレール/上北台駅からの歩きの様子です。
(2011年10月当時)
▼上北台駅の真ん前は、メディカル関連のテナントが集まったビルがありました。
この駅近辺(=東大和市内)では、あまりこれといったものに出くわす事ができず、こんな風景がある世的な感じで本記事をお送りしたいと思います。有用な情報がなくすみません。
▼上北台駅から、これを向こうへ進んでいきます。
サイドに畑があって感動しました(笑)
「東京に畑がある!」って感じで。
▼そして幹線道へ出て、これを向こうへ進みます。幹線道には飲食店が点在しており、他の店も色々ポツリポツリとありました。
ここは県道…ではなく、都道43号-立川東大和線で、約7.8kmの距離がこの路線で結ばれています。
▼神奈川県の大和市との区別で、東京の大和市となることから、東大和市となった訳ですが、ここでは「東大和」とこれでもかってくらい書いてありました(笑)
またこの辺りでは小中学校は第〇という形なのですね、東京では大体このような形なのでしょうか?
▼都道5号と43号の交差点付近です。
上の写真の標識に、これらが交差する部分が見られましたが、まさにその地点です。
都道5号はバイパス区間がここのような「新青梅街道」と称され、他の区間は「青梅街道」と称されるとの事でした青梅街道はよく聞く名前ですが、その区間は山梨県甲府から東京新宿までとされています。道理でよく聞く訳だ…と思いました。
一方、43号は芋窪街道と書かれていました。芋窪(いもくぼ)ってのがますごい名前ですね。
芋窪というのは東大和市の地名のひとつであり、かつては芋窪村という自治体名でもありました。(1889(明治22)~1919(大正8)年までの20年間)
▼ここがまさにその芋窪ですが、そこにあった歩道橋です。
いくつもの方向に階段が下りていました。
▼通りがかりに出くわした北多摩西部消防署です。
2011年当時このようにありましたが、2019(平成31)年より改築中で、現在ここでは操業しておらず、別場所へ一旦移転し仮庁舎で操業している状態です。
▼ここまで歩いて来た幹線道が「緊急交通路」であった事を知りました。
地震災害等の有事の際には、緊急車両を通行させる道路で、一般車両は通行禁止となるもので、これまで阪神淡路大震災や東日本大震災で適用された事があるといいますが、逆にそのような大規模災害の時でないと適用されないのか!と思わされました。
▼歩いているうちに薄暗くなってきましたが、このような重機が並ぶ所で夜だと、ちょっと怖い感じでした。
ちなみにまっすぐ歩いていると武蔵村山市との境目に出くわします。
なのでこの時の行程は、上北台駅→東大和市内→武蔵村山市内ときて、そのまま引き返してきたというものでした。
▼最後、上北台駅に戻って来て行程終了です。すっかり夜でした。
この時は武蔵村山市へも一緒に訪ねたかったので、この上北台からアプローチしましたが、次は東大和市駅からアプローチして歩いてみたいものです。
以上、東大和市でした。