(2006年10月当時)
▼前の駅記事は2019年版でしたが、今回は2006年訪問時に訪ねた街の様子をお届けします。2019年では高山の中心付近の街並みを訪ねていない事もある為です。
これは駅の真ん前ではなく、少し離れた地点で、高山駅から東へ約1kmの地点です。
高山の街は駅から東へ進んで橋を渡った辺りが、飛騨の小京都と呼ばれる所以の趣ある街並みとなっています。
手前右側の「角桑(かどくわ)」というお店は、京都と高山のおみやげ店という事でそれぞれにお店を持っているちょっと変わったところです。
周辺は昔ながらの商店街という感じで、ズラリとお店が並んでいました。
▼上の写真よりやや西側、川沿い近くにある通りです。
手前右側は木版画・木版手染めという工芸系のお店です。
いかにもという感じの古い街並みが続いています。
▼古い街並みのエリアは黒い建物が多かったのですが、右手前にあるような白壁のものもありました。
朝早く通ってると、人通りがないのでゆっくり落ち着いて景色を楽しめました。
▼高山名物の「朝市」の様子です。
朝市は北側の「宮川朝市」と、南側の「陣屋前朝市」とがあり、こちらは陣屋前朝市の方です。大きなテントがなされ、その下で色んなお店が出ているのがここの特徴です。
▼上の写真で、陣屋前の朝市と書きましたが、この「高山陣屋」がこの建物です。
開場は8:45~だそうで、この時はまだ7時台だったので開いていませんでした。
高山陣屋は、江戸幕府が飛騨国を直轄領として治める為に設置してた代官所で、元は高山藩主であった金森氏の下屋敷であったものが、1692年に金森氏が突然上山藩へ移封となった為、以後は幕府の天領として明治を迎える事となります。
▼街の通りに出たら、このような人形がありました。
▼次に飛騨国分寺を訪ねました。
757年に建てられたという飛騨の国分寺です。
江戸時代に高山藩が改易となり天領になった際に、高山城が取り壊され、その一部がここに移築されているといいます。
▼飛騨国分寺の本堂です。
室町時代の建立で、飛騨随一の古刹といわれ、国指定の重要文化財です。
そういう目で見ると、風格や迫力を感じます。
現存する国分寺の中で、国宝や重文に指定されているものは少なく、東大寺と他に4寺(信濃・飛騨・讃岐・土佐)しかないといいます。
二層形式で屋根の端がせり上がっていて、これもまた風格ある建物でした。
下層のものは高山城の一部遺構を利用したものであろうといわれています。
▼そして最後は、飛騨国分寺で最も象徴的な建物である「三重塔」です。
文政4(1821)年築で高さは約22mを誇っています。だとすると来年でちょうど300周年という訳ですね。飛騨で唯一の塔建築だそうです。
バス停にも「国分寺」がありました。
小京都の街並み巡りが、かなり駆け足で浅かったのであまり写真残っていませんでしたが、高山駅付近の観光となると、どうしてもこの小京都街並み巡りと国分寺が主になるかな、というところでした。
高山市というくくりだと、なにせ広大なので、他にも巡った所があり、機会があればそれらも是非あげていきたいと思います。