続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

岐阜/中津川③ 馬籠Ⅱ 上り上る宿場町

 

岐阜県中津川市岐阜/中津川② 雨に煙る馬籠宿  に続く中津川市3つ目の記事です。

 

前回に続いて馬籠宿の風景です。(2019年7月当時)

 

▼まだまだ上り坂が続く馬籠宿の通りですが、進んでいくほどに和風建築の建屋群がひしめき合う雰囲気になってきて、その荘厳さに圧倒されました。

 

この右側に見えるのが清水屋資料館で、前記事に見えていた清水屋資料館のものは看板だけの「前フリ」で、こちらが正の資料館でした。

 

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▼という訳で、清水屋資料館の玄関です。

 

前記事でも書きました島崎藤村の書簡や掛け軸など当時のものが残っていたり、江戸時代に宿場町として栄えていた当時の文書や陶磁器など当時の生活も窺えるものが残っているといいます。

 

この時は朝早くて開いておらず、しかも雨でこんな雰囲気になってしまって、閉ざされた感満載の画になりました。

 

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▼清水屋資料館を過ぎて上っていって、また右手に資料館が見えてきました。

 

槌馬屋(つちまや)資料館です。

 

昔の茶屋のようなスペースがあったり、2Fには島崎藤村の父親に関する資料が残されているといい、清水屋は藤村自身の資料館、ここ槌馬屋は藤村の父の資料館的な感じです。

 

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▼ある地点での各方面への標識です。

 

島崎藤村の記念館は最初に案内がありましたが、お墓もこの地にありました。

 

馬籠宿下入口が220mとありますが、通りが本格的に始まる坂のほぼ最初から上っていって220mという事なのでしょう。しかしその体感は倍以上歩いた気がしました。何せずっと上り坂ですから。

 

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▼更に上って、茶屋の続く街並みがハッキリ見えてきました。

 

朝早くの雨模様で人通りも皆無の状態でしたが、何のエリアかは分かり易くなっていて、活発な様相を呈していました。

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▼坂を上りながら左手に見えてきた「馬籠郵便局」です。

 

宿場街にある郵便局らしく、順和風建築になっていました。

 

また白壁が前面に出ていて趣を感じました。オフィスっぽさを感じないところがいいですね、観光地の通りの中に普通に溶け込む形で建っていて。

 

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藤村記念館に着きました。

 

真っ黒の門で関所みたいな出で立ちで何かと思ったらもこれが藤村記念館とは…。

 

島崎藤村生家跡であり、また馬籠宿本陣跡でもあり、そのように記されていましたので、こうい出で立ちで正解なのかと。

 

ここが馬籠宿の宿場町でほぼ中間なのだそうです。

 

馬籠宿データとして、1843(天保14)年当時の記録で、

本陣数:1軒

脇本陣数:1軒

旅籠:18軒

で宿内の人口は717人という事でした。

 

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▼こちらは脇本陣の方ですが、史料館になっています。

 

ここの資料館は庶民レベルというよりも、最上位者の生活を窺い知る場所という感じで、当時の部屋を復元し、その者の道具や被服などを紹介する事で、当時の暮らしを伝える、そういう趣旨の所だそうです。

 

当時の八幡屋蜂谷家の跡に建っているもので、当時のものは1895(明治28)年の大火で焼失したといいます。

 

この1895年と1915(大正4)年の大火で宿場町の大部分を焼失していますが、その後復元して当時の面影を残しているといいます。

 

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▼依然として上り坂が続きましたが、脇本陣跡を越えた辺りから、建物の密集度が減って来て、うっそうとした緑が目立つようになっていき「この先何もないかな??」と感じ始めた辺りで引き返してきました。

つまりはこの先はすべて下り坂だった訳です。

 

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▼引き返すので下り坂、見晴らした様子です。

 

しかし天気が今ひとつで向こうが見えませんでした…。

 

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▼降りる途中に通りかかったこの老舗川上屋の看板が出ていましたが「創業元治元年」とありました。

 

元治元年とは1864年で、幕末も幕末という時期で、元治という元号は江戸時代では最後から2番目であり、慶応のすぐ前の元号です。日本元号というのは、慶応までは遡って順に言える人は結構いるのでは?と思いますが、これ以前が全然分からない、という方が多いのでは?と勝手に思っています(自分はそうです)

 

この川上屋、和菓子店でこの辺りの名産である栗きんとんの老舗であり、Wikipediaにも載っていました。

 

HPはこちら

 

そういえば、こんなに中津川を堪能してここまで栗きんとんを全く食べてなかったのですが、この後無事に別の場所で食べる事ができました。

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▼馬籠宿の宿場町の通りを下まで降りてきて、中津川駅行きの馬籠バス停の向かいにある「馬籠館」へ。麓?のメインになる土産物屋さんで、喫茶スペースもあります。

 

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▼その馬籠館の喫茶コーナーのメニューです。

 

いかにも宿場町の茶店っぽい感じで、帰りのバスも向かいに停まるので近いという事で、ここでバス待ちがてら頂く事にしました。

 

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▼という訳で頂いたのは「抹茶」と「栗きんとん」でした。

 

中津川に来たのがこの時で4回目?だったと思いますが、ようやく食べる事の出来た栗きんとんでした。

 

この時は平日でゆったりしていて、ここのお店も自分ともう一組客がいたぐらいで、マッタリしていました。外国人客の方が多かったかもというぐらいでした。

 

雨の中の坂道で少々ハードになった馬籠宿の街道めぐりでしたが、最後にゆっくり落ち着いて茶屋でのんびりとできて。良い区切りになりました。

 

この後は中津川駅へ戻って中津川宿を巡る事となりましたが、この時行けなかった妻籠宿へ、今度は行きたいものです。

 

ということで、中津川第3弾これにて結びと致します。

 

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