長野県千曲市、長野電鉄/屋代駅(現・しなの鉄道/屋代駅)の歩き旅です。
(2011年4月当時)
●こいのぼりの絵
駅記事にもありましたが、地元の保育園の子たちの書いた絵や切り貼りしたものです、まさに図画工作!
これが6年前のものなので当時の園児たちももう小学校の高学年にはなっているのでしょう。今はもうさすがにこれは置かれていないと思いますが、別のものが置かれているのでしょうか?
●駅前通り
やや広めの道路に少し高めの建屋が続く商店街の雰囲気で、そこそこ市の中心駅前らしい、なかなか整備された駅前の通りといえます。
当時の屋代は現在のしなの鉄道以外にも、「長野電鉄」の屋代線が通っていましたが、この訪問の翌年2012年にその線が廃止になってしまいました。
この辺りは平成の大合併以前は「更埴(こうしょく)市」という自治体名で、以前から市部ではありましたが、これに上山田町、戸倉町と温泉を有する町と合併して現在の千曲市になっています。
●駅前通り2
上の道路を進んでいったところです。上の写真にも見えているので、どの程度進んだかは大体わかると思います。
高さの違う街灯が木の枝のように分かれた形で設置され、これが通りに並んでいました。
旧・更埴市時代のものがありました。千曲川を遡上するサケと、市の花アンズの花と実が載っています。
更埴とは、この地域の更級(さらしな)と埴科(はにしな)の合成地名で、現在の千曲市になる時にこの更埴市と合併した町もまた更級郡と埴科郡にそれぞれ属するものでした。更埴更埴の合併だった訳です。
それにしても更級は「しな」こそ「級」の字ですが、長野県の地名には「科」の字が実に多いですね。他にも…
・豊科(とよしな=安曇野市の中心地)
・蓼科(たてしな=高原地で有名)
・明科(あかしな=安曇野市の地区) 等々…
「科」の字には「層をなして重なったもの」「坂道、階段」を意味する部分もあるという事で、長野県の旧国名である信濃も「科濃」と記されていたともいわれています。
屋代駅前の街なかを歩いていて、ふと横を見ればこんな小さな川と何気にオシャレな小橋がありました。こんな小さな橋でも、泣ければ交通が成立しなくなるので貴重だな、という事をある時から感じさせられたものです。
市名にもなっている千曲川は、屋代駅から1km程度歩く必要がありますが、この川はそのずっと手前で、駅から100m程の所にあります。
屋代駅入口バス停付近です。
歩道の花壇は見事に手入れをされていて、これと木の枝のような街灯とが良いマッチングで華やかさを引き立てているように感じました。
正直この駅に来た時は、駅前はもっと寂しいものを想像していましたが、嬉しい誤算というか意外と華やかな様子でした。歩道に描かれている曲線は千曲川の流れでしょうか。
華やかな風景から一転、商店兼住宅であったと思われる家屋が。
昭和のいつかまでは普通に商店として営業していたのでは?と思いを馳せてしまいます。いつ頃までやっていたのだろうか?と。どういう経緯で閉めてしまったのかな?とも。こうして残っているのが素晴らしいというか尊い気がします。
いかにも地元らしい名前ですが、千曲神社です。
鳥居と拝殿があるだけで社務所とかはありませんでした。ネットで検索しても特に記述は見受けられず、地域のちょっとした神社というところでしょうか、しかし拝殿の軒先には国旗が掲げられており、誰かが管理している事は間違いありません。


●千曲市役所 更埴庁舎
千曲市を構成する旧自治体の戸倉町や上山田町にも庁舎があり、ここは旧・更埴市のテリトリーで更埴庁舎となっています。勿論規模も最大です。

●屋代駅へ戻る
千曲市役所までは足伸ばししましたが、そこから屋代駅前まで引き返してきました。
千曲川周辺の様子を見てくるくらいの時間があればよかったのですが、この時は長野県の未訪市めぐりという事で広く浅く巡っていたので、そこまではいきませんでした。
その代りといっては何ですが、今年のお盆に同じ千曲市内の戸倉(とぐら)地区に行って温泉巡りをしてきました。この時の様子がまたお伝えできればと思いますが、書きたい記事があり過ぎてupが追いつかず、もっといろいろ伝えたいのに、書けないままにまた旅をするものだから、載せたいけど載せられないものが溜まる一方の状況です。











