(2011年2月当時)
●百万弗
東金駅前(西口)の通りの一角です。
いきなりインパクトのある建物が出てきましたが、昭和感満載のまさに「パチンコ屋」でした。閉店としてネット上では載っていて、建屋はきれいに残っていますが、営業はしていないようです。
閉店との情報はたくさんあるのですが、いつ頃閉店したのでしょうか??逆に情報求ムというところです(笑)
上の写真から少し右へずらしたカットです。
右側は歩道側に屋根つきの商店街が続いていました。
屋根を支える柱がか細くて、屋根もどこかしら貧相な感じで、昔のちっぼけな感じのものを思わせます。昭和からの時が止まった感といいますか。
と思われる渋い建物に出くわしました。
そこに「FUJI XEROX」の看板がかかっていました。なんだかミスマッチな。
しかし周りが割とスラッとした?建物が続く中で、ゴツゴツっとした重厚な感じのこの建物はひと際目を惹きました。
今度は薬局の駐車場という看板のついた石造建築物で、またまた渋すぎる建物でした。左下の部分がレンガっぽくてなんでここだけこんなになってるのかよく分かりませんでした。
中にある戸の部分がなんともいえません、1段差ある形で戸がついていて、枠の囲みもまた渋くて。戸というより窓なんですかね、でも明かり取りの感じもしないしよく分かりませんでした。
いつ造られたんだろう?と思わされざるを得ない建物ですが、こんなのいつ建てられたかなんて、ネットで調べてもなかなか分かるものではないでしょうね。有名な建物でもなければ、旧何々…の建物でもないし。名もなき渋きこの建屋。
左側のやや高い建物に、「西川園」というお茶や海苔のお店があり、SINCE1875とあります。この界隈きっての老舗なのでしょう。東金を拠点に「いつもいいお茶と暮らしたい」をモットーに操業を続けている、という事です、もう140年を越える歴史を有する訳ですね。
この前の写真までが東金駅の西口から出ての風景でしたが、この駅上の歩道橋を渡って今度は、東側へと転じます。
向こうに見えている「サンピア」というお店は「東金ショッピングセンター」と冠されていて、東金駅前商店街組合の主導のもとで運営されているそうで1960年オープンというこの手のものにしては古い歴史をもっています。
核店舗はイオンで、「ジャスコ東金店」としてオープンしたのが1978年で、その後イオンになるも40年近く続いています。3Fには映画館がこの時ありましたが、その後2013年に閉館しています。
●東口
東金駅東口は駅記事でもお送りしましたが、駅舎がなく歩道橋で降りたところにロータリーなどの駅前広場スペースが構築されているエリアがあり、この写真はそこを出た駅前道路にあたる場所の様子です。
バスが連なって見えていますが、この東口はバス路線があるもののかなり少なく、圧倒的に西口から出る路線の方が多いです。
駅東口のサンピア(イオンの入っている)の向かいにある公園です。
1979(昭和54)年に東金駅前の区画整理事業の一環でできた公園だそうで、もうすぐ40年になるというところで、この当時だと30年強くらいになります。
駅前にありながら十分な活用がされているのか…、雰囲気的にちょっと勿体ないような気がしました。あくまで感覚ですが。フリーマーケットなどは行われているようです。
●関寛斎 像
これも東金中央公園内のカットです。
関寛斎(1830-1912)という人物の胸像がありました。
東金出身で蘭方医として生きた人物であり、その思想は現代医学にも通ずるという、「養生」「医療」「運動」の総合性を重視したものであったといいます。この時代の人物にしては長寿で、しかも最後は服毒自殺であったというので、本来ならば大正まで生きられたのではないかというくらいです。
彼の晩年10年は北海道開拓に心血を注いだというもので、努力の甲斐なく夢果たせずに終わったとの事ですが、終生挑戦する気持ちを忘れずに進んだその生涯はまさに「偉人」と言えると思います。
入口にちょっとした門が置かれているのはなんでしょうか?特に但し書き等ありませんでしたが。
これも同公園内のものです。
東金小学校は開校時期はよく分かりませんが、1974(昭和49)年に統廃合の形でその役目を終えています。なのでOBOGの方々は50代~居られる事になります。
この学校はナント「フラフープを全国に先駆けてやめさせた学校」という結構な記録?をもっています。当時大流行であったこの遊びを「腸ねん転になる」「胃に穴が開く」等の都市伝説が急速に襲いかかり、これにいち早く対応したのがこの学校、という事になるのですね。
●東金市立鴇嶺小学校
鴇嶺は「ときがね」と読みます。
鴇が鳥の「トキ」を表わします、「朱鷺」とも書きますね。
先程、碑のあった東金小学校の統廃合によって再編された学校のひとつですが、このコンクリートの建物の古さはもっと昔の建物のように思えます。沿革を調べてもこれ以上の記載が見られない為、よく分かりませんが、とにかく渋すぎる建物の小学校で、てっぺんに地球儀があるのもインパクトがあって良かったです。
東金市制40周年を記念して1994年に記念事業として書かれた壁画という事です。
東金というのは全くの内陸の街ですが、えらく鯨が強調されてるな、という感じでした。
ついでに駅東口の駅前の地図もざっくりした内容で載っていました。
東金駅へ戻ってきました。
ハイキングコースが記されたマップです。
東金駅から2駅先の山武市は成東駅までの17kmのコースを「伊藤左千夫のみち」として紹介されています。「野菊の墓」でお馴染みの伊藤左千夫氏の生家が途中にあり、また食虫植物など自然に触れ合い要素も楽しめるコースという事です。
ちょっと距離が長いので時間と体力が少々必要でしょうが。この界隈を楽しむ事ができそうなコースです。