(2012年7月当時)
●駅前広場から
毎度毎度の鮮度のない記事で恐縮ですが、今から5年ほど前の様子です。
「小金井駅」というと、東京の小金井市を連想される方も居るかもしれませんが、
東京のは武蔵小金井駅と、「武蔵」の旧国名が冠されていて、本家?!小金井駅は
ここ栃木県下野市にあるという訳です。
で、これは小金井駅前ロータリー周辺の様子ですが、正面に見えるパチンコ屋が
なんとも哀愁を感じさせます。市の中心駅の駅前にこのようなものが残っている事が
またなんともすごいです。
昔は、こんなこじんまりしたパチンコ屋が沢山ありましたが、今はPARLORとか
いって、こんな規模のものは本当になくなりましたね。この店はいつまで稼働
していたのか?想像しても分かりませんが、こういうの見る度に気になります。
●国分寺町
この地域の旧自治体名「国分寺町」の表記が駅前街灯に残っていました。
2006年にこの国分寺町を含む3町が合併して新たに下野市が誕生したのですが、
これはその誕生から6年を経過した時点のものです。今も残っているのか…?
国分寺町とあるようにこの地域は下野国国分寺がおかれていた地であり、
それ故「下野」市という命名に繋がったのかと思われますが、
「下野市って何があるの?」となった時にまずはこの国分寺の存在を挙げる
事ができるかと思います。
しかしまぁ国分寺町で小金井という地名、東京と混同してややこしいですね。
東京には国分寺市と小金井市があるもので、地図を見ていても名前だけだと
栃木のを見ているのか、東京のを見ているのか分からなくなります。
その向こうには先ほどのパチンコ店の名前が見えています。上の写真では
木で隠れていましたが…。2F部分は雀荘になっていますが、廃墟サイトに
載っている事もあり、まず営業はしていないのかなと。
この時訪問したのが7月だったのですが、来たる御神輿御祭典の為に、
小金井駅前通りには交通規制の案内看板が出ていました。
この時に来なければ、この事も知らないままでした。7月に神輿が通るんだ
という事。偶々ですが良い時期に来たなと。もっと言えば当日に来ると
より面白かったと思いますが、たまに遭遇する街もあります。
駅前通りは提灯やら飾付けがなされていて、お祭り感に溢れていました。
そういう意味でも本当にいい時期に訪ねる事ができたなと思いました。
これがなかったら単純に「駅前通りの風景」となるだけなので。
駅前通りはそのまま栃木県道104号「小金井停車場線」となっており、
小金井駅前から国道4号との交点までの140mがその長さとなります。
県道でよく「○〇停車場線」として駅から実に短い距離のものが数多く存在
しますが、これらは整備の対象として必要な事から距離が短くても番号を
振っている、というような事が書いてありました。駅前だけにやはり整備を
怠る訳にはいかない、という事もあるのでしょうかね。
鞠?なのか、解説を書いているサイトになかなか行き着けず、よく分かりません
でした。
の家屋に出くわしました。まだまだ駅前です。
こういうすばらしい建物に複数出会えたのも下野の思い出のひとつです。
昭和の香りを残した、金物店がありました。
金物店という響きがつくづく昭和と感じますが、この色褪せ感がなんとも
たまらない、というところです。小金井駅前をちょっと歩くだけでいろんな
昭和遺産?に巡りあえます。
江戸時代、日光街道として重要な役割を果たしていた小金井宿がこの地にあり、
日本橋から22里目を示す一里塚がありました。
元々は約9m四方の塚があり、榎が植えられていたのが、いつの間にか
今では丸型となり何代目かの榎とクヌギが同居する塚になった、とあります。
この一里塚は国史跡に指定されているもので、またここに植えられている
榎とクヌギは下野市名木30選に挙げられているといいます。
こと、塚に関しては規模は縮小したものの、幕府の命で築かれた構造物が
良好な形で残っているといいます。
説明板の最後に露骨に「下野市教育委員会」と貼り換えられているところに
どうしても目が行ってしまいます。
●旧日光街道と一里塚
という事で説明板が出ていました。
右側にある日光街道の図の最下部が江戸日本橋ですが、ずっと上がっていって
赤い部分が当地「小金井宿」です。
小金井宿は、本陣脇本陣が各1軒ずつあり、旅籠は43軒あるとされています。
宿場の西側で黄金が採れたということから、金井村と元々は言われ、そこから
宿場として移転時に「小」の字を入れて小金井の名になったといいます。「小」を
けずに金井村だと露骨に金や富を思わせるから付けたのでしょうか?
日光街道を辿ってみたい方には良いコースだと思います。他の方のブログを
見ているとそのような記事も散見されました。
小金井駅の駅前バス停です。
下野市でなく、小山市コミュニティバスのバス停として存在しています。
下野市では『デマンドバス』方式での運営で、ワゴン車に乗り合いの形となり、
また事前に利用申請証や1時間以上前の予約が必要となったりして、
来たものに対して乗る方式では全然ないようです。
基本的に小山市内を回っているバスではありますが、北端をちょっと抜けた
位置にこの小金井駅があり、そこまで延伸した形でしょうか。
この「羽川線」で小山駅までつながっています。そこから新幹線で移動も
出来る訳ですね。
ここに『予定時刻』として記載されていますが、便数としては土日祝は
これより1便減る形になるだけで、平日は1日9便であり、コミュニティバス
としてはかなり多い部類になると思います。
大体1時間半に1本の形ですが、これくらいなら、少し長く居られれば利用
してみようかな、と思わなくもない程度の便数でした。
●酒蔵 甲賀屋
という白壁(様)の建物に出くわしました。
酒蔵というより酒屋という感じでしたが…、酒蔵で調べてみてもなかなか出てこず、
「酒蔵甲賀屋」で検索しても、マピオンの地図情報的なサイトばかりでした。
酒屋さんだとしてもこの建物は立派でインパクトがありました。
普通に信用金庫の看板見ても何も思わないのですが、この「足利小山」
という部分が目に飛び込んできて思わず撮ってしまいました。
実は90年代からそのような動きがあって、90年→2002年で約2/3にまで
減少していたそうですが、全く気付きませんでした。
都銀が色々と合併を繰り返してその名が重なるのはよくあった事ですが
(太陽神戸三井銀行みたいな)、地元の信用金庫ですらこういう事があるのか、と。
沿革を見ると、2004年に足利信用金庫と小山信用金庫が合併して
今に至るとありました。両金庫はそれまで約50年間、それぞれの名前で
運営されてきましたが、この時に合名したのですね。ちなみにこれをもって
栃木県下最大の信用金庫となったそうです。
●国道4号上
小金井駅から停車場線の名のついた駅前通りを通り過ぎると、この国道4号と
交差します。ここで左に曲がって400m程進んだ地点で、小金井駅からでは
約500mの地点の様子です。
色んな商店の続く幹線道ですが、右側の「カンベ自動車」が目に留まりました。
濁点の「ベ」なのですが最初「カンペ」自動車に見えたもので。中古車販売店の
ようで、車種表示の上に漢字表記もありましたが「カンベ」とカタカナにした方が
インパクトあると見てこの表記にしたのでしょうか?漢字だと「神戸」となるようで、
「こうべ」と同じ読みの方なのですね。カンベって神戸もあれぱ神部のように、
『部』の方もあるんですよね。
ですが、国道沿いに広い駐車場をもつ店舗エリアです。
左端は「上海Cafe招龍房」とありましたが、ググっても10年ほど前のものしか
でてこなくて、今もあるかどうか分かりません。中国の古刹を思わせる素晴らしい
建物でしたが。
右端はアジアンレストラン「アソカ」というお店で、ここは2016年末の食べログ
にも出ていたので、今も現役の可能性大です。このカラフルな建屋にトンガリ屋根
はやはり目を惹きます。
●再び小金井駅へ
と戻ってきました。
祭提灯はやはり、街を彩ってくれますね。
これからまたここの祭の時期が近づいてくるので、このように活気づいて
くるのではないでしょうか。そんな時にこの地を訪れてみるのも良いかもしれません。
という事で下野市の記事を終わります。