(2006年12月当時)
●赤穂城跡 大手隅櫓
この当時撮った写真が駅からの行程のものがなく、いきなりこのようなお城周辺のものだったので街の様子はここでは端折りの形となりますが、JR播州赤穂駅からは徒歩約10分、駅前の道路を直進し続けるとこのような景色が見えてきます。
播州赤穂駅は山陽本線から外れた「赤穂線」の駅につき要注意ですが、最近の新快速列車では西行き(下り)は当駅までのものもあります。姫路駅や相生駅で乗換える時に岡山行に乗らないように注意です。新幹線でのアクセスでも最寄は相生駅となり、姫路駅からのアクセスでも可能です。(岡山駅からでは在来線で時間がかかります)
1648年に築城が開始され、1661年に完成していますが、その間、山鹿素行のアドバイスによる手直しも行われているとの事です。
しかしあの有名な事件が起こるまでにはわずか40年…、1701年に浅野内匠守長矩の吉良刃傷事件が江戸で起こり、四十七浪士による討入りは翌1702年に起こっています。12月14日…、今年もその時期が近づいてきていますが、今も「赤穂義士祭」として根づいています。
赤穂城跡、と検索するとよくこの写真で出てくると思いますが、この角度が最もそれを表わしているものかもしれません。赤穂城は1873年に廃城となり、この櫓は昭和30(1955)年に再建されたものですが、再建された櫓もこれのみという事で、赤穂城の顔ともいうべき存在かと思います。
上の隅櫓の手前(播州赤穂駅側)にこのようなお堀があります。
赤穂城は明治の初めに廃城令の対象になっていますが、このお堀と石垣は遺構となっています。
大手門へ向かうところです。
右側に写っている通路でここまでやって来て、左側に隠れている大手門へと入っていきます。
櫓が別角度ではまた違って見えるのも良いのですが、白壁が青空に本当によく映えていました。
ここから先の様子はないのですが、こうして外から見るだけでも充分楽しめます。
大手門とお堀を隔てる形で向かい合う部分です。
この建物は「巴屋 大手門前店」です。
この時は開いていませんでしたが、通常は土産物店および茶屋の役目も果たしています。
HPが出ているので詳しくはコチラ
赤穂の観光地の重要なひとつでもあり、この辺りは通常はそこそこの人通りもあり、茶屋でひと休みしている方々も見受けられます。「討入そば」というのもあるようなので、一度食べてみてはとも思います。
ちなみに播州赤穂駅にはかつて「ペーロンそば」という中華風の麺をつかったそばがありました。ちょうど姫路駅にある「駅そば」のような感じのもので、赤穂に来るたび食べていた大のお気に入りでしたが、いつの間にか無くなっていたのが大変残念です。
赤穂城跡の正面入口ともいうべき存在です。
姫路城のように立派な天守閣がある訳ではない(天守台のみで天守が建てられる事がなかったとの事)のですが、この立派な入口の門構えは風格充分です。
赤穂城跡と併存するのがこの大石神社です。
その名の通り大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士の四十七士を祀っている神社で、下の2枚中上側の写真の手前に一対のみ写っていますが、これが四十七士像の一部で、これらがこの手前の両サイドにズラーッと並んでいる訳です。
この時訪ねたのが2006年の大晦日であった為、「謹賀新年」の文字が出ていて、完全に迎春モードになっていました。
下側の写真は拝殿の様子です。この神社は昔から個人的によく行っており、厄年のお払いもして頂いたので思い入れはかなりあります。
当時は2007年を迎えようという時期で、猪年。平成十九年とありますが、だいぶ前の事のように思えます。たしかに9年も経つわけですが…
大石内蔵助がいつもこの地を見守っている、そんな気がしてならない、この佇まい。四十七士は自決という哀しい最期を迎えましたが、300年以上経つ今でも義士祭は続き、内蔵助ら志士たちの事も語り継がれるこの国の素晴らしさを、この像を見て感じたものでした。
赤穂城やこの大石神社は赤穂の重要観光地ではありますが、街なかを歩いていても四十七士ゆかりの地などが点在していて、忠臣蔵ファンにはとりわけ人気の高い地でありますし、歴史に興味のある方々も存分に楽しめる地かと思います。