那須塩原市は栃木県の北部に位置し、人口は117,715人(2012.4.1現在)で、2005年に旧・黒磯市と西那須野町・塩原町の1市2町が合併してできた新しい市です。県北最大の人口を誇る中心的な町で、皇族別荘地といわれる那須御用邸などで有名です。
-JR那須塩原駅-
【路線】JR東北新幹線(上野-新青森間)
東北本線(東京-盛岡間)
【開業】1898年11月24日
【訪問】2006年8月
【1日あたり平均乗車人員】 4,734人/日 (2010年)
【近隣の都市駅】(東京方面)野崎駅→2駅
(盛岡方面)黒磯駅→隣駅
▼駅名標周辺
こちらは新幹線の駅名標です。
東北新幹線では、北から来て関東でいちばん最初の駅で、その手前は白河の関でおなじみ新白河です。
開業当初の駅名は、東那須野(ひがしなすの)駅と名乗っていました。
1982年、東北新幹線開業時に現在の那須塩原となりましたが、当時は那須と塩原の合成駅名という形であり、やがてこの駅名に市名が追いつく形で、2005年那須塩原市が誕生しました。この時は、その翌年の訪問となります。
▼新幹線ホーム
乗ってきた新幹線です。
「ようこそ素敵な那須野路に」と、歓迎を表したフレーズと各種観光パンフに椅子が並べられている観光アピールのフリースペースのような所でしょうか。
木製の枠が柔らかなイメージを強調しているようで、和むスペースという印象を受けました。
▼駅から見下ろして
駅階段の上から、駅前風景を見下ろしたものです。
「下野の薬湯・板室温泉」、と看板が出ています。
板室(いたむろ)温泉は、この付近の温泉ではありますが、いわゆる塩原温泉郷というくくりには入らず、これらは駅の真西に少し離れた所にありますが、これに対して板室温泉は北西に少し離れた所(当駅からタクシー約20分とあります)に位置しています。
少しぬるめのお湯で、入るとしっとりまとわりつくような感じとの事で美人の湯ともされ、痛みを軽減し癒されるという事で、杖要らずの湯ともされています。
下の方の写真はここよりもう少し視点を左にずらして、駅前のロータリー周辺の様子です。島がいくつもあって、バスが結構停まっていました。
▼在来線ホーム
こちらは在来線ホームです。
ここへは新幹線でやってきて、在来線で発っているので、両方のホームを撮る事が出来ました。在来線ホームの写真はこれのみですが…。
▼地球の真中
ここが地球の真中です、としてでっかい地球のモニュメントが東口の駅前に立っています。
日本の重心とか中心とかへそとかいう地点はよく聞きますが、地球の真中とは…??と色々調べてみるも、全く解答が得られず…、単なる自称??自分がいる所が真中、という事か…、、と勝手に解釈してますが。。
▼那須塩原駅 駅舎(東口)
階段が横に下りているだけ、という感じの東口です。一目見てこちらはサブ側かな、と感じました。反対側はいかにも新幹線停車駅らしい雰囲気なので。こちらはいささか自由な雰囲気?で、この時はさりげなく「ふるさとまつり」なるイベントが駅前でありました。
▼巻狩鍋
こちらは変わって西口です。
広い駅前スペースの中にこのような大きな鍋が置かれています。
説明看板を見ると、「巻狩鍋」とあります。
源頼朝が、いい国作った翌年の1193年にその勢力を天下に知らしめるために、那須野ヶ原一帯で大規模な巻狩りを行ったといわれています。巻狩りとは、集団で行う狩りですが、そこには10万人も集結したともいわれ、そらの人々のために鍋が振る舞われたそうです。
この鍋は大将鍋と呼ばれる直径2.2㍍もあるもので、約2,000食分が賄えるのだとか。それこそ炊き出しで大活躍しそうな鍋じゃないか、と思いました。
▼那須塩原駅 駅舎(西口)
東口の様子とは全く違った感じで、堂々とした新幹線停車駅の駅舎です。
これぞ新幹線停車駅、と言わんばかりの雰囲気を感じました。
わずか30年前までは、東那須野駅という単なる1駅にすぎなかったところで、隣の新白河もかつては磐城西郷というこれもまた普通の駅でしかなかったところが、新幹線が入ると駅名は変わるわ、駅舎は以前の面影を偲ぶべくもないほどに様変わりするわで、ホントにすごい効果をもたらすというか、、大きな力のようなものを感じますね。