千曲市は長野県の北部に位置し、人口は62,033人(2011.3.1現在)で、2003年に旧・更埴市、更級郡上山田町、埴科郡戸倉町とが合併してできた新しい市です。
東日本最大級といわれる森将軍塚古墳があり、また江戸時代には善光寺詣での最大の宿木場町として栄えたといいます。
-しなの鉄道/長野電鉄 屋代駅-
【市内】市内7駅(JR1、しなの電鉄4、長野電鉄2)中の中心駅
【路線】しなの鉄道線(軽井沢-篠ノ井間)
長野電鉄屋代線(屋代-須坂間)
【開業】1888年8月15日(訪問は2011年4月)
【1日あたり平均乗車人員】
しなの鉄道-2,429人/日 (2007年)
長野電鉄-175人/日 (2007年)
【近隣の都市駅】(軽井沢方面)上田駅→6駅
(篠ノ井方面) 篠ノ井駅→2駅
(須坂方面)須坂駅→12駅
旧・更埴市時代からの市内の中心駅で、当時より市名を冠した駅がありませんでした。現在は隣に市名とイコールの「千曲駅」が2009年に開業したのですが、それほど規模の大きな駅ではなく、中心駅の座はこの屋代駅が揺るぎなく保っている状況です。
しなの鉄道と共に長野電鉄の駅もあり、複数の私鉄路線を共有するという県内きっての重要なキー駅です。ただし利用者数は両者にはかなり開きがあり、しなの鉄道側の乗車数の方が圧倒的に多い状態です。この時もしなの鉄道でやってきた事もあり、記事タイトルは「しなの鉄道」とつけさせて頂いた次第です。
市内にはJR駅も1駅存在しますが、中心地から離れた所に姥捨駅があるのみです。元々は当駅もJR駅でしたか、長野新幹線開業による経営分離でしなの鉄道に転換された為、中心駅がJRでなくなり、かつ他のJR駅が残るという状態になりました。
▼広く取られたホームはしなの鉄道が2面3線と圧倒的に多く、長野電鉄はこの右端に1面1線のみです。屋根も長く取られ、市の中心たるにふさわしい雰囲気をじゅうぶんに持っています。
この真ん中ホームからも両側に跨線橋がつながっている為、かなり長い通路となっています。
▼その跨線橋の長い通路も、半分ずつで全然違ったものとなっていて、長野電鉄へのこの右につながる分は大変年季が入っています。
▼跨線橋内部です。
こちらはしなの鉄道の2面をつなぐ部分、通路も広くゆったりとした雰囲気で、掲示物埋め尽くされています。
▼これが真ん中部分を境に一変、、
長野電鉄側へ達する跨線橋は突然通路幅が狭くなり、木造丸出しで吹き抜けになっていて…と、1本の通路でありながら半分ずつで全く様子が変わってしまいます。
▼1面1線のみで、駅舎側から最も離れた長野電鉄側のホームです。
しなの鉄道ホームとは共有しているとは思えない、異世界のような雰囲気で、時がここだけ止まっているような、そんな感じでした。木造丸出しの待合室がなんともいえないですね。こんなに渋すぎるとちょっとやそっとで解体しにくい気になりそうです、心情的に。屋根の柱部分も木造である事も見逃せません。
▼これは真ん中のホーム、しなの鉄道の分ですが、このホームの屋根もこんなに渋い木造の骨組みが複雑に重なり合っている事は見逃せません。白木なので長野電鉄側ほどの衝撃は受けなかったものの、この天井の見事さも素晴らしい限りでした。
▼こちらは駅舎側のホームの様子、
屋根が長く続き、また真ん中部分の三角屋根があることで絵になっています。
▼屋代駅の駅舎です。
平屋でそれほど大きな駅ではありませんが、渡ったすぐの所に広場スペースが整備されていて、歩行者の安全地帯的エリアを形成しています。
▼その駅前広場の様子です。
この時はGWだったこともあってか、こいのぼりが低い所ながら架かっていました。

