続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

本田美奈子.追悼の?!夜

今週も土~火の4連休につき、昨夜はかなり夜更かしして3時過ぎまで起きてしまっていました。

で、YouTube本田美奈子映像にばかり見入っておりました。なんでか、キッカケは忘れましたがネットサーフィンの過程で行き当たってしまったもので…[E:coldsweats01]

思い起こせば?!自分のとても多感な頃のアイドルでした。中学終わりから高校時代にかけて。しかし特にファンという事もなく、アイドル時代は正直あまり意識して見ておらず、いいなと思うようになったのはたまたま目にしたアニメの主題歌を歌っていた時でした。2003年「明日のナージヤ」という日曜朝のアニメ、この主題歌を歌う声どっかで聞いたような…でも声楽家のような澄んだ歌声、、主題歌の表示には唄・本田美奈子とあり…新境地を見たような想いがしました。単なるアニソンと言われる枠では収まりきらないものを感じました。

その頃からクラシックとの融合のような世界に踏み入れようとしてたんですね。アイドルからミュージカル、クラシックへ、そのクラシックも専門家が歌うようなものでなく日本語で独自のジャンルを築き上げようとしていたのが映像からヒシヒシと感じられました。それでいて元々は演歌志向が強かったというのがこれまた驚きです。

個人的には自分が中3の頃、テレビで「Temptaion」を歌っていたのが初めて見た歌唱の姿でした。その頃は、元気なキャラだと思ったぐらいでしたが、翌年出た彼女のアイドル時代を代表する曲「1986年のマリリン」の映像は当時意識しなかったとはいえ何度も目にしていたであろう映像、確実に聞き覚えのあるメロディー、懐かしさに感動せざるを得ませんでした。丁度レコードからCDに急速に移行していく時代でした。次のシングル「Sosotte」なんかも歌詞はサビしか知りませんがメロディーの一部はスッと出てきます。その次の「HELP」ではギンギンにノリノリでワイルド路線一直線、当時は歌唱がうまいとかよりもその派手なパフォーマンスの方が強く印象に残っています。

最初からアイドルといわれるのを嫌っていたのがよく分かる映像もありました。デビュー曲は「殺意のバカンス」という凄いタイトルのものでしたが、当初は実際にはセカンドシングルとなった「好きといいなさい」だったそうで、この曲が見事なくらい彼女のキャラと合わないアイドルチックな楽曲でした。本人の希望でハード系の「殺意-」がデビューシングルとなったそうですが、デビュー曲予定の曲を次のシングルで出すというのは彼女にとってはどんな気分だったのか…。次の「青い週末」もらしくない軽いポップ系の曲で、ここまでは商業的にもそれほどではないという感じでした。4枚目のTemptationのような危うさを感じさせる(まだまだかわいいものでしたが)楽曲が合っていたのでしょうか、この辺りから売れるようになってきた感じで、TVでもよく見るようになりました。

最初はデビュー曲の件などのように芯の強い部分がわがままとか突っ張ってるとか捉えられた部分もあったと思いますが、本当にいい年の取り方をした人だと思いました。15年以上経って「1986年のマリリン」を歌ってもアイドル時代よりも可愛いくらいの容貌、維持されたスタイル、切れのいいダンス、すべてが見事でした。元アイドルが昔の曲を歌うと大抵懐かしいノリで、パワーがダウンしてたり、枯れた一面を見ることが多いのですが、彼女の場合はアイドル時代の曲もパワーも落とさずに進化させ続けてるという印象を受け、一言で言うと懐メロを歌ってる感が皆無です。

そのいい年の取り方をした要素は色々あると思います。最も大きいのは「ミス・サイゴン」の舞台挑戦、当時歌以外に興味を示さなかった彼女が歌の力を発揮できると知るや、後の予定をすべてキャンセルして舞台にのめりこむようになったといい、そこで共同作業の大変さと喜びを知り人格形成に大きく役立ったといいます。また、作詞家の岩谷時子さんとの出会い、小さな幸せへの気づき、普段何気なく遣っている言葉の大切さを学んだといいます。何かを書く時決まって末尾は「心を込めて…」と結ぶといい、人が何気なくやる事のひとつひとつにも一生懸命心を込めてやっていた人だと気づかされました。

自分の歌うことで誰かが勇気付けられたり、そういう歌手になりたい、というセリフもよく聞かれ、華奢な体でそれこそ命を削るような思いで歌を通して何かを発し、何かを伝えて人の魂を揺り動かしている、没後も尚そのような存在であり続ける人なのかなと思わされました。今の自分と同じ年で亡くなられたので非常に残念だし早すぎたなとつくづく思います。
色んな事を思いながら数々の映像に見入っていました。これらの映像が残っていて視聴できる今の世の中、本当にありがたいです。