続々トラベルとかナントカ

日本全792市を訪問した駅や旅の記録です

長野/安曇野 豊科法蔵寺 平和の鐘

長野県安曇野(あずみの)市、JR豊科駅からの歩き旅です。

(2012年8月当時)

▼まずは豊科駅前にあった安曇野市豊科・堀金 観光案内」のマップです。

豊科はこの駅の名前にもある通りですが、安曇野市として2005年にスタートする際の中心的な町であり、堀金(ほりがね)は同じくその合併時の自治体で当時は堀金村でした。合併直前の豊科町の人口は約27,000人で、堀金は村であったものの約9,000人の人口がありました。

 上にハクチョウの像?があるのは、市内の犀川(さいかわ)という川にハクチョウが飛来してくる事が関係していると思います。そこの湖は「白鳥湖」と呼ばれているようで。

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▼駅からまっすぐ伸びている駅前通りです。

通りに提灯が並んでいたのは安曇野花火」を間近に控えていたからと思われます。

安曇野花火は実に12,000発もの花火が上がるという事で屈指のレベルだと思いますが、今年度は残念ながら花火はないようです。

長野県というと諏訪湖花火大会が9月まで毎週のようにやっていたり、個人的に「花火大国」と思っている県ですが、この安曇野の地に1万発を越える花火が上がるとは!これはすごいなと改めて感じたのでした。

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駅前通りを入って間もない辺りです。

右側の向こうに「旅館」の赤文字看板が見える所はまだ現役のようです。

この当時からまだ8年も経っていないのですが、googleマップと照合すると、現存していない(現役稼働していない?)ところが結構見受けられました。街の姿はあまり変わっていないところから、当時から建物だけそのまま残っていたのかもしれないですね。

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▼駅前にあった渋すぎる建物です。

正直どこにあった何か思い出せません。

上の写真を撮ってから20秒後くらいに撮っているので、豊島駅近にあった事だけは確かです。

Googleストリートビューで今見ても見つからず、駅前通りに面した所のものではないようですが、今もあるのか?気にかかるところです。

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▼旧・豊科町のマンホールです。

カラー版がありましたが、白鳥湖の白鳥です。とても分かり易く町を表わしたものでした。

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駅前通りを歩いて程なく長野銀行の手前の地点を左折した所にありましたが、なんとも和風な建物で、なまこ壁も見られました。

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▼別の地点ですが、ここにもなまこ壁がありました。

結納品のお店という事でしたが、丸市紙店というお店で現在も稼働中のようです。

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▼屋根の妻の部分に「大星」という字に見える意匠のある建物がありました。

ここに「水」と書いてあると、火除けの意味合いなどと聞きますが、これらの建屋にある文字は何を指しているのか?よく分かりませんでした。

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▼法蔵寺というお寺へ来ました。

豊科駅から東へ徒歩約10分の所にあります。

法蔵寺は浄土宗の寺院で、1506年創建とありました。

江戸初期の1611年に成合新田宿という宿場町建設に伴い、この地に移転されたといいます。

この立派な山門はやはり江戸時代の寛政年間、1789年に建てられたそうです。

ケヤキの白木の彫刻が数多くあり、その為かこの山門が頭でっかちの構造になっているようです。

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▼法蔵寺の表にあったお言葉です。

「才能の差は小さいが 努力の差は大きい」

…刺さります。

しかし理想なのは、苦に思えず一生懸命やってたらそれが努力した事になってた、という感覚ですね個人的には。苦しい事もあるけど、苦しいだけのするのはなんか違う、と最近思うようになりまして。努力するにも工夫があればいいなと。

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▼山門に彫刻が数多くあることが、この写真からも窺い知れるかと思います。

ちなみにこの山門は「長野県宝」に指定されています。長野県宝として安曇野市で指定されているのが4つあり、そのうちのひとつという訳です。

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▼山門を入った後の門です。

この門の両サイドには力強い仁王様が並んでいました。

 

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▼法蔵寺の拝殿です。

屋根の傾斜が微妙なカーブ具合で、これが独特な感じで惹かれました。

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▼法蔵寺の境内にあった「平和の鐘」です。

緑の芝生の上に緑の鐘が置かれているのもなんだかいい感じでした、保護色っぽくて。

終戦後の1949(昭和24)年に戦時供出されていたものを、檀信徒の熱意により鋳造されたもの、とありました。

ただその鋳造も物資不足の状況下であった事からひび割れてしまい、約40年の役目を終えてここにあるという事でした。

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▼最後の写真ですが、屋根上の渋い看板のあったお茶の店でした。

とにかく「茶」の文字が何ヶ所にあるか!ぐらいな感じでした。

豊科といえばここ!というのは法蔵寺ぐらいでしたが、自然いっぱいの安曇野市、今度行く機会があるならまずは白鳥湖に行きたいですね、白鳥が沢山居る季節に。相当寒いでしょうが…

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岩手/花巻② 時の鐘から

岩手県花巻市岩手/花巻① 花巻市役所への道につづく記事です。

(2012年11月当時)

▼前回記事は花巻市役所まででしたが、その隣にあるのがこの花巻城跡で、ここは花巻城の大手門跡とありました。

花巻城は1591年に北秀愛(きた ひでちか)という人物により築城されたとありました。北氏というのは聞いた事がありませんでしたが、東北の大名である南部氏の家臣だそうです。

秋色に色づいた葉が通路に落ちていて、この時は11月でしたが、色とりどりの葉や草などで実に華やかな雰囲気でした。

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▼そしてこの城跡公園内にある、花巻市の観光地としても象徴的な存在といえる「時鐘(ときがね) 」です。2015年に岩手県から有形文化財に指定されています。

建物の下に石垣が施され、周りに池があったりして、かなりの雰囲気を放っていました。

元は1646年に「盛岡城」の鐘として鋳造されたものが2年後に壊れてしまい鋳直されたそうで、その後に花巻城での再使用が命じられたとありました。盛岡城では「小さい」という事で、花巻城に移されたとか。

今でも市庁舎の警備員が毎日午後6時に鐘を撞くのだそうです。

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▼花巻城跡周辺の図が縄張り風に描かれていました。

敷地内に教育機関や公共施設が点在していました。

右側に花巻城の歴史が記されていましたが、最初は鳥谷ヶ崎城と称して10世紀頃まで遡り、安倍氏の居城であったとの事でした。

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▼敷地内には「新渡戸ロード」というのもありました。

花巻といえば宮沢賢治、と自分の中の図式であったのですが、前の五千円札の顔であった新渡戸稲造は・・・、花巻市出身ではないのですが、祖父が花巻の出身(稲造は盛岡出身)で、市内には新渡戸記念館もあります。

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花巻市の前身について の説明板がありました。

市制化は1954(昭和29)年に県内6番目の市として誕生し、平成の大合併で2006(平成18)年に3町と合併して現在に至ります。

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▼上の写真の説明板のバックにあるこの建物は花巻市役所 分室」でした。

市役所分室とはありましたが、いちばん下の写真の玄関横にあるような団体の事務局的な要素が強いようで、細々と存在している感じでした。建物があまりに渋くて出自等知りたかったのですが、この建物に関して調べてもなかなか検索には出て来なくて情報が得られませんでした。かなり歴史ありそうな建物だと思いますが…

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花巻市役所付近にある花巻市民体育館です。

前に立っているコンクリートの高い塔のような不思議な建物に目が惹かれてしまいます。

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 「花城小学校ここにありき」 という事で石碑がありました。

起源は1873(明治6)年の川原小学校が変遷を経て1905(明治38)年にこの地に花城尋常高等小学校としてスタートし、1940(昭和15)年に花巻小学校との統合により、この地から永久に姿を消したとありました。わずか35年の学校としての歴史でしたが、こうしてこの地に存在した事を後世にも伝える為に、1985(昭和60)年にこの碑を造る事となったと思われます。

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▼稗貫農学校跡というのがありました。またも学校跡地です。

前身1907(明治40)年に創立された養蚕講習所であったといい、その後1921(大正10)年に農学校として開校され、宮沢賢治も1年4ヶ月ほど教鞭をとったといいます。

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花巻市民体育館周辺の道路沿いの様子ですが、平面の軒が道に沿うように続いていて、昭和感濃かった感じでした。

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▼日曜大工センターの看板があまりにもインパクトありすぎて撮ったものです。

これはすごいです、なかなか今こんな感じのものは見れないと思います。

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▼同じような建物が並んでいながら、どれも廃墟だろうという感じの軒が並んでいました。

これまた時が停まった感満載でした。

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▼市役所界隈から色々とウロウロしてましたが、旅館が複数見られました。

これらの旅館が現役かどうかは上手く確認できませんでした。

ちなみに花巻には「花巻温泉郷」という温泉エリアがありますが、この花巻駅近くではなく、バスで10何分かかるような少し離れた所にあります。

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▼最後はこの菊の写真です。

花巻市の市の花が菊でした。

ボリューム満点の菊の数々が画面から浮き出てきそうな気すらします。

城跡周りだけでかなり割いた感がありましたが、花巻市の記事2つ目、これにて終了と致します。

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岩手/花巻① 花巻市役所への道

岩手県花巻市JR花巻駅からの歩き旅です。

(2012年11月当時)

▼前回の北上市に続き、岩手県の都市です。

最初の写真は駅前の様子からです。

花巻駅東口の駅前広場からの目線ですが、ろうきんがありました。コンクリートのゴツゴツした建物かと思いきや下の本体?の部分だけがレンガっぽいつくりの妙なマッチングの建物でした。

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▼その駅前から南へ向かってのカットです。

魚民があり、その向こうにはNTTの鉄塔がありました。

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花巻市のマンホールです。

中央は旧市の市章だそうですが、花が巻いている感じがします(笑)今の花巻市章の方が風車のようで、より花が巻いている感じです。

デザインは、花巻の象徴的な鹿踊り(ししおどり)と旧市の花キクが配され、側の丸いのは市の花ハヤチネウスユキソウだといいます。このハヤチネウスユキソウというのは日本で岩手県早池峰山(はやちねさん)にしか生息しないそうで、この山名から取られたようですが、この山には「ここにしか生息していない」という高山植物が多いようで、愛好家にはかなりの人気なのだとか。

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▼マンホールを間に挟みましたが、2枚上の写真から歩を進めてNTTの手前まで来たところです。

手前にはピンクのブライダルハウスがありました。

NTTといえば昭和から平成の初め頃は花形企業の象徴のようでしたが、最近はNTTのビルを見ても窓口はなく(2013年に全廃との事)、建物維持されているのか?と思われるところもあったり、随分時代が変わった事を感じます。

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花巻駅東口を南へ400~500m程の地点の幹線道(県道103号)の様子です。

手前の看板が手書きで「ほねつぎ道場」とあり、仰々しいものを感じましたが佐々木接骨院というところがこの左側を下った所にありました。HPもありましたが、このごっつい案内看板とは裏腹にスタッフは全員女性だそうです。

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▼幹線道からちょっと路地へ抜けるとこんな感じの所があり、昭和から時が停まった感満載でした。

尚、この食堂は今も現役のようです。(当時ですらこの写真しか撮っていなかったので、やっているかどうか分かりませんでしたが…)

街の散歩をしていて、こんな昭和丸出しの所を見つけると、その旅が半分成功したような気になります(笑)

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▼再び県道103号へ戻り南下します。

ここでもまた昭和感が。

上側の写真は2階部分の窓枠がめちゃくちゃインパクトがあり、この歪み感がなんともいえず撮りました。シッャターも歪んでいました。

下側のものはなんといっても看板のインパクトです。「酒 鈴与」のこの筆書き感といいますか、これを撮らずにいられないだろう、という感じでした。

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▼大通り2丁目というバス停があり、この辺りの住所的にも同様です。

先の写真のほねつぎの看板は1丁目の南端で、これを越えると2丁目くらいな感じでした。

バスが「岩手県交通」だった事は驚きでしたが、奈良県の田舎部のバスもだいたい「奈良交通」である事を考えたら、おかしなことではないのですね。

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▼上の写真から左折した形でそのまま県道が続き、また右折する鈎型の道路の途中に当たる地点ですが、ここには歩道のみのアーケードがあり、より昭和感が濃くなった気がしました。

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▼鈎型道路のど真ん中から曲がらずに直進して県道を抜けました。

そのまままっすぐ行ったところに橋があり、そこから見る川の周辺はかなり整備されていました。

橋は花城橋(かじょうばし)といい、この辺りの町名も花城町といいます。

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▼その橋から見た川の様子です。

川は大堰川(おおぜきがわ)という花巻市街を流れる川で、豊沢川という川の上流から分流し、下流でまた豊沢川に合流しているといいます。

堤防の辺りなど、だいぶ作り込まれた感がありますが、元々治水安全度が低かったもので、1993(平成5)年度からこの写真の当年である2012(平成24)年までの約20年間にわたり「大堰川整備事業」が行なわれてきました。

この川沿いの道は大堰川プロムナードとよばれ、橋からこの道へ下りる所の標識には「せせらぎの小径」と記されていました。

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求康堂跡 というのがありました。

求康というところから「健康を求める」=昔の医療関係?の施設でもあったのかと思いきや全然違うもので、内村鑑三の高弟でキリスト教信者の斎藤宗次郎(1877-1968)という人物の営んでいた新聞、書籍等の販売店であったそうです。この人物は教師であったそうですが、キリスト教信仰が厚すぎたせいか教育界から受け入れられず、ここに営みの場を設けたとありました。

また宮沢賢治との交流もあり「雨ニモ負ケズ」のモデルになった人物との説もあります。

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▼この記事は一旦ここで切ろうと思いますが、最後に花巻市役所です。

これくらい訪ねて引返すつもりでしたが、その後に期せずして訪ねるところが増えてしまったので、撮った写真もかなり増えてしまったという訳です。

市役所は1970(昭和45)年築で今年50周年を迎える建物ですが、老朽化が取りざたされていながら新庁舎建設の動きは特に見られないようです。

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とここまで、花巻の市街地等を中心にお届けしてきましたが、次の記事ではもう少し観光的要素も濃くなると思いますので、その辺り含めでここで一旦区切りとしたいと思います。

 

過去の訪問市町村の記事はコチラ

lefthand.cocolog-nifty.com

岩手/北上 今は亡き すわちょうアーケード

岩手県北上市JR北上駅からの歩き旅です。

(2009年8月当時)

▼もう11年も前の事になりますが、当時宿泊したAPAホテル北上駅西です。

大体泊まったホテルはチェックアウト後に写真撮るのですが、当時は3年ぶりの東北旅行で、この時に泊まった数少ない地のひとつでした。

ちなみにこのホテルは現在も存在しています。場所的には、北上駅西口より徒歩8分と少し歩く事になります。

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 「PIAすわちょう」という見事なアーケード商店街に出くわしました。

中まで入って撮らなかったのですが、約250mにおよびアーケードが続いてるのだとか!

 

しかし…

 

残念ながらこのアーケードは現存していません!

2013年度中には撤去してしまったのだそうです。

撤去費用は2億強だとか。

1980年代半ばに当時の諏訪町商店街振興会がつくったのだとか。商店街隆盛時代よりもだいぶ後発なのですね。この頃だと衰退化が始まっていた頃かと思うのですが…。

開閉式のアーケードとして造られたとありましたが、晩年はその開閉もできなくなってしまい、老朽化の為に取り壊されたのだそうです。

という事で今となっては、「在りし日の姿」として貴重なカットとなりました。

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▼PIAすわちょうの名の元?の

諏訪神社 です。

 北上駅の北西約500mの地点にあります。

江戸時代から広く信仰を集めたとあったので、その位の歴史かと思っていたら、坂上田村麻呂将軍よって勧請(かんじょう)されたとあり、その時期は807年という平安初期の事だという、かなり歴史のある神社であるようです。

という事で2007(平成19)年には、鎮座1,200年として「奉祝記念大会」が盛大に執り行われたといいます。

河岸剣舞という舞がこの神社の神事芸能であったといいますが、廃絶となったようです。

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▼扉に付いた金の装飾が荘厳な雰囲気を醸し出していました。

 これは費用かかりそう、と思って見ておりました。

節目の年になると、よく改修等で莫大な寄進の要求が掲げられたりしますが、こういう部分にいくらかかっているのか?等気になったりします。

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諏訪神社の拝殿です。

これまた豪華な建物です。屋根裾の申し訳程度のキュッと上がった感じが妙にかわいらしかかったです。

北上市民に愛されている神社という事で、初詣時期などは周りに幟が立ち並んでいたり、干支の扁額が飾られてあったり、しているようです。

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諏訪神社を出て、再びPIAすわちょうのアーケード外へ来ました。

古い商店街が続いていましたが、建物のなんともいえない渋みが全体に漂っていて、朝早くだったので開いてはいないのですが、このうちのどれほどが現役の店としてやっていたのだろうか?と思わされましたし、更にここから11年経った今はどうなっているのか?も気になってしまいました。

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北上市のマンホール、カラー版がありました。

真ん中は新市章といいますが、「北」の市を表していると共に右側は「上」のようにも見えます。

バックは市のもので固められているようで、「市の鳥キセキレイ」「市の木サクラ」「市の花シラユリ」といった具合です。

キセキレイは黄色いセキレイで、下腹部の黄色が特徴的です。白が特徴的なハクセキレイもいます。

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▼2枚上の写真の商店街を向こうへ進んだ先を振り返ってのカットです。

やはり建物の褪せ具合が凄いなと感じました。

真ん中手前の「くどう靴店」という看板が見えますが、マップのデータには存在しており、現在もやっている可能性があり驚きました。

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▼最後はこの写真、北上駅西口まで戻ってきました。

これは西口から駅前通りへ向かってのカットです。

右の建物に「ホテルニューヴェール」の看板が見えますが、このホテルは2008年に民事再生手続きに入ったりなどで経営破たんしていた治様態でした。現在は営業を確認できませんでした。

この建物は「北上観光物産館」の表示が前面にあり、また「おでんせプラザぐろーぶ」という施設でも出てきます。

2016,17年頃にこの中に入って夕飯場所を探し回ったのですが、とにかく広大な建物の中にぽつりと店か点在するような形で、大箱に少しの施設しか入っていない感じでした。箱が立派なのに勿体ない感じがしましたが、なかなか駅前発展をさせる形は難しいのか??地方都市の抱える問題を垣間見た気がしました。

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埼玉/八潮 中央公園までの散歩道

埼玉県八潮市つくばエクスプレス/八潮駅からの歩き旅です。

(2011年2月当時)

▼という訳で今回は八潮市です。

まず最初の写真は、この時宿泊した東横イン八潮駅前」です。

この当時はとにかく東横インを探して泊まってたぐらいで、10回泊まると1回宿泊無料になるので、ほぼその為だけに東横インを探してました。海外でも東横イン泊まってました(笑)。

この時は三郷へ行きたくて、宿泊を三郷にするかここにするか迷いましたが、ここに行ってから三郷へも行くという欲張りプラン?のもと、ここに泊まる事としました。

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▼朝っぱらからホテルを出て散歩です。

八潮駅から八潮市役所方面へ。

標識には環七通りなどあって首都圏を感じました。モロに「首都高速」もありますが…

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▼歩行者は青信号を2回渡って下さい

という標識がありました。

なかなか見ない珍しいものではないでしょうか??原付の二段階右折の標識はよくありますが…

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八潮四丁目というバス停へ出てきました。

八潮駅からだと北へ500m程の所です。

バス停名の文字が消えかかっていました。

のみならず次のバス停名はもっと消えかかっていました。「新田」とは読めますが…。

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▼道中で見かけた八潮市がらみの大きな看板です。

つくばエクスプレス八潮駅 開通」とありました。

この当時は2011年で、つくばエクスプレスが開業したのが2005年だったので、まだ開業後6年というホヤホヤ状態だったので、このようなフレーズとなっていたのだと思います。

八潮市は、このつくばエクスプレスが開業するまで長年鉄道駅のない市であり、2001年当時の鳩ヶ谷市(現・川口市)で鉄道駅が開業してからの4年間は埼玉県内で唯一鉄道駅のない市だったのです。

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▼2つ上の写真の「八潮四丁目」バス停の隣の「新田」バス停です。ここは表示がきれいでした(笑)

行先として「八潮工業団地」と「草加駅東口」がありました。

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▼街区案内図というのがありました。

「八潮〇丁目」ばかりで、1丁目から8丁目までありました。

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八潮市のマンホール、カラー版です。

八潮市の市の鳥はハクセキレイで、どう見ても違うのですがここに書かれてるのはシラサギだといいます。

ステンドグラス風のバックが独特なマンホールでした。

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▼またまたバス停ですが、今度は八潮市役所南」というバス停です。

前までの八潮四丁目→新田ときて、この次は「若柳交差点」となっていましたが、その次がこのバス停となります。八潮駅からでいうと4つ目のバス停となります。

色んな方面へ分岐するようで、次のバス停がいくつも記されていました。

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▼バス停ばっかりですが、実際撮った写真にち町の風景も少なからずあります。しかしコメントしようもない街の様子ばかりで、バス停の方がまだ文が書けるので載せているようなものです。

ここは八潮市役所」バス停で、ベンチが複数あり、屋根も大きめのものが設けられ、さすが市役所前だけあつてバス停に格上感がありました。

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八潮市役所です。

1971(昭和46)年12月竣工という歴史ある建物で、今年で50年目を迎えます。八潮が市になったのは1972(昭和47)年1月の事で、市制化に合わせて前月に竣工したという訳ですね。

八潮市では、市制化された1970年代前半に建設された公共施設が多く、これらが揃って老朽化している問題を抱えており、効率的な施設維持管理を市民に呼びかけている、という動きもしているようです。

これは市のアセットマネジメント推進課というのが主として推進しているようですが、世のハヤリなのでしょうか、最近長いカタカナに「推進課」をつけている部署が民間企業でも時折見受けられます。

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▼公共施設の建物ではなくて会社か、冠婚葬祭の関連施設か、とか色々思いましたが、

「八潮メセナ」という市民会館と勤労会館の複合施設との事でした。なかなかセンス良い建物ではないか、と勝手に思いました。

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▼最後はこの公園の写真で。

「八潮中央公園」です。

遊具あり野外ステージありですが、野外ステージは1992(平成4)年に「手づくり郷土賞」を受賞しており、この表示もなされていました。

木のきれいな公園だなと個人的な印象ですが、冬枯れで枝だけになっていても、木々の景色としてちゃんと成立してる感がありました。緑の公園も良いのですが、色んな季節楽しめそうそんな感じを受けた公園でした。

ホテル出て朝散歩した程度の八潮市の風景をお伝えしましたが、町の色んな表情がそれなりに見られたと思います。

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千葉/四街道 松並木美しき街

千葉県四街道市、JR四街道駅周辺の様子です。

(2011年2月当時)

▼またまた今から9年前、2011年の街の様子です。ホントにこの年には沢山色んな市を新規訪問しました。

これは四街道駅南口の駅前通りです。

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四街道市内の案内図がありました。

観光案内というよりは、施設案内の要素が濃いものですね。とにかくありとあらゆる公共施設が並べ立てられていました。

東隣には千葉市があり、ベッドタウン的側面を感じられます。

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▼こちらは四街道駅北口の駅前通りになります。

消防署が右向こうに見えます。

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▼Ito Yokadoがありました。

今も存在しているこの店舗、コロナウイルスの影響も受けましたが、この6月1日より一部を除いて通常の営業時間に戻ったようです。

ヨーカドーって店名はヨーカドー(ローマ字表記をしてたりもしますが…)で、会社名は「ヨーカ堂」なのですね。

ここのお店は四街道駅から徒歩8分の立地にあり、駅からそう遠くはないのも良いですし駐車場は1,400台分あるとの事です。

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松並木通りシンボルロード整備事業 なる看板がありました。

四街道駅の北側には松並木が多く、これらは明治中期ごろから旧陸軍の設備として整備されていたという事で、その当時から植えられていたといい、であれば樹齢100年を越えるものです。

シンボルロード整備事業とは、各地の持つ独自の文化や歴史などの個性を表現している道路を魅力的に整備するものだそうで、ここでは歴史ある松並木がその対象であるという事ですね。

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イトーヨーカドーの前の交差点付近です。

バス停は「消防署前」ですが、標識が複数本立っていました。

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▼上の写真から空にヨーカドーへ迫ったものです。

道路上の松並木が確かに存在感を放っていました。

それよりここでは右側の植込みに惹かれました。

むしろこの四街道を訪ねて最も印象的だったカット、といっても過言ではありませんでした。

この黄色いモップみたいなのは、なんていうんでしょうか。

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▼このヨーカドー前の通りは「美化推進重点地区」だそうです。

先のシンボルロード整備もあるのでしょうか、特に美観を保護する必要のある区域という事です。まちをきれいにする条例に規定され、様々なごみの放置はやめましょう、と呼び掛けられ「市内全域ポイ捨てが禁止」され、違反すれば罰せられるとまでありました。

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▼四街道らしい松並木のアップが撮れました。

この時は実はそんなに松並木の事は意識してなかったんですが。

両サイドにこれだけの高い木があるなんて素晴らしいですね。

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▼最後はこの道標の写真です。

千代田村道路元標 というものです。京葉銀行四街道支店の表の庭先にあります。

この辺りは当初の自治体名は「千代田村」として1889(明治22)年に発足し、1940(昭和15)年に千代田「町」へと昇格し、1955(昭和30)年には千代田の名前が消滅し、四街道町となっています。四街道市に昇格したのは1981(昭和56)年です。

具体的な観光地を示し難い街において、ちょっと歴史の垣間見られるスポットを最後に挙げました。茨城県常総市の中心地が水海道(みつかいどう)に対して、こちらは(よつかいどう)というのがまた面白いですね。

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愛知/日進 回文NISSINの街

愛知県日進市名鉄/日進駅周辺の様子です。

(2011年5月当時)

▼これまた前回記事の東松山市同様にちょうど9年前の2011年5月当時の様子です(この当時本当に浅く広くあちこち行ったもので…)

まずは駅にあった日進市案内図」です。

日進市で観光ってどんなところがあるのか??

ってことで検索してみました。

下記赤字で書いたのは、個人的に観光地として行ってみたかったところを挙げてみたものでしたが、この駅の近くではあまりなく、観光地を訪ねるつもりなら最初っから足を利用する事を考えて訪ねるべき、です。(日進駅は最下部真ん中のオレンジ囲み部分です)

という事でピックアップした3ヶ所について。

 

①岩崎城址公園

模擬天守のある立派な公園で、織田信長の父 信秀が居城していたといいます。

ある意味日進市を象徴する観光地、といっても過言ではないと思います。

アクセス:日進駅から「くるりんパス」で約10分「岩崎」バス停下車

②愛知牧場

日進市域の南東端に位置し、約200頭の牛がいる牧場。牛だけでなく、ヒツジやヤギなどとも直接触れ合いができ、パターゴルフもあり、牛乳やアイスクリームの販売もあるというエンタテイメント性の高い牧場

アクセス:名鉄黒笹駅から徒歩約7分

③マスプロ美術館

その名の通りアンテナで知られるマスプロ電工の企業美術館です。

展示室が「陶磁器室」と「浮世絵室」に分かれているという独特の構成の美術館です。陶磁器というのが瀬戸界隈を感じさせます。

アクセス:名古屋市営地下鉄鶴舞線赤池駅から名鉄バス日進中央線「浅田東」バス停下車


…公共交通機関の利用であれば、最もアクセスしやすいのは愛知牧場ですね。

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▼この辺りの地区の沿革について書かれたものがありました。

冒頭に「この地『折戸』…」とありますが、この駅の開業前の仮名は「折戸」駅でした。

1979(昭和54)年開業との事ですが、当時は既存の住宅は少なく水田が多数を占めていたといいます。名古屋大都市圏構想の下でベッドタウンに位置付けられて土地区画の開発が進んだとの事でした。

ちなみに日進の名前由来は日露戦争巡洋艦の名前「日進」に因むとの事で、古い地名由来ではないようで、またローマ字表記の「Nissin」(shiではない場合)はローマ時版の「回文」になっています。

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日進市のマンホールです。

市の花であるアジサイが描かれ「下水道」と記されています。

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▼日進駅を南へ下ってすぐの所で、県道57号上です。

なつかしの「サークルK」がこの当時はありました。

サークルKは現在、日本から全撤退しており、このお店は2018年12月にファミリーマートとして別の地へ新築移転しています。

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▼更に南下して日進駅から700~800m程県道57号を下ると、日進市から東郷町への境目に至ります。

日進駅へ行けば徒歩で東郷町へも行けてしまう訳ですね。

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▼という訳でそのまま東郷町へ突入しました。

東郷町の旅記事として挙げたいところですが、ほんの数枚しかないので、日進市の旅の延長という事でここに載せます。

このデザインは町の花であるアヤメを表しています。

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▼他にこれといった写真がないので、あっけなくこの記事が終わってしまいますが、最後の写真です。

 ある意味日進で最もインパクトあった写真と思っているものです。

愛知県のネッツトヨタのお店にはこのようなキリン親子がでっかく置いてありまして、なんてもキリックスグループのキリンダム系列だから、との事でした。

この時は日進市を訪ねるという事自体が目的だったので、駅周辺を歩くに終始しましたが、先に挙げた観光地も是非とも行ってみたいものです。

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